さよならをすること

お久しぶり、半透明です。

 

 

最近は楽しいことは特になく辛いことが重なる日々で、楽しいことは書けそうにないなで暗い話になってしまうけれど。

 

先日、家で飼っていた猫が死んだ。飼い猫というより、もうだいぶ歳をとってから保護された雌猫のようだった。2月頃から家にいたから彼此半年は飼っていたのだろうか。

 

最初から俺は生き物を飼うことに反対していた。理由は"死に目に会うのが嫌だから"。

クソみたいな理由だと思うかもしれないが、現実世界で普通に生きているだけで悲しい別れは死ぬ程経験しなければならないのに、なぜその回数を態々増やすのか。過去には金魚を飼っていたこともあるが、死に目に会った1ヶ月後くらいまで引き摺っていた気がする。だから俺は受け付けようとはしなかった。

 

それでもどうしても、という理由があったらしく家に来たが、俺はほとんど関わらなかった。世話の殆どは連れてきた母親がしていた。家でものを落とすだけでビックリしていないか心配し、どこへ出かけても時間が遅くなれば彼女の名前を連呼しては早く帰ろうと言い出す。そんな様子に呆れた事も何度もあった。

 

しかし同じ家に暮らしていれば姿を一切見ないという訳には行かず、何度もリビングや俺の部屋を徘徊する様子を見た。最初は近付くだけで逃げられたのに、しばらくすれば歩み寄ってもびくともしなくなった。

 

しかし彼女の様子は段々と変わっていった。一時は元気に家の中を徘徊していたのにゲージから出てこなくなり、母親は深夜も付きっきりで、畳の上で寝ていた。

元々患っていた病気も進行していったらしく、最後の方には目と鼻の位置が分からないほど顔は傷だらけだった。それでも、母親はずっと可愛がって世話をしていた。

 

そして水曜だったかな。母親からテレビやピアノで大きな音を出すのを少しの間でいいから辞めてくれと言われた。理由を尋ねれば、もうかなり危篤だと。涙目で言われた俺は何も言えなかった。

 

ああ、遂に来てしまったか、と思う。いつかこうなることは分かっていたはずなのに、いつもそうだ。同じことの繰り返しはもういいのに。

 

木曜日、彼女は旅立った。最期の瞬間には立ち会えていない。学校に行っている間に死んだらしかった。放課後に母親から旅立ったこと、最後に病院に行くこと、帰りが少し遅くなる旨のLINEが来ていた。やけに強がって🎵なんかつけていた。

結局母親が涙を流すところは見ていない。きっと病院では泣いていたのだろうけど、強い強い母親だと思った。

 

ああ、とは思ったが、泣きはしないだろうと。その為に、この時の為に、関わらない努力をしてきたつもりだった。

 

その日から数日たった今日、母親からLINEが送られてきた。その場から発せられた「忘れないであげてね」という一言とともに送られてきたのは、元気だった頃の彼女の写真と、俺が寝ている横で眠る彼女の姿だった。

 

 

どうしてか、涙が止まらなかった。

母親のホーム画面は、笑顔の母親と、彼女が一緒に寝ている写真のままだった。

お門違いだと思った。別れを恐れて、関わりを持とうとしなかった俺が泣くなんて。でも、意に反して涙は止まらなかった。

 

もっと彼女に触れておけばよかった。伝わらなくても言葉をかけておけばよかった。俺が触ることが出来たのは、冷たく固まった火葬前の彼女の体だけだった。

 

終わってから残る後悔程、虚しいものは無いだろう。もう既に骨になってしまった彼女は、俺の事を猫なりにどう思っていたのだろうか。

今はもう、何も聞くことが出来ない。

彼女はもう、帰ってこない。

 

 

この世に生きる上で、別れは確実にやってくる。"四苦八苦"という言葉の中には、人間がこの世に生きていく上で避けることの出来ない八つの苦しみがある。その中の一つに"愛別離苦"-愛するものや人と離別すること というのがある。

さよならをすることは、避けて通れない苦しみだ。

 

ならばその時まで、どう過ごすのか。深く関わりを持つのか、別れを恐れて関わらないままその時を迎えるのか。

どちらが正しいとも、間違っているとも言えない。でも少なくとも俺は、彼女と関わらなかった事を後悔している。

 

 

貴方はどうですか。

別れが怖いですか。それまでどうしますか。

きっと自分の中で割り切ることなんて、一生出来ないのだろう。